ZOOM

 先日、ZOOMで学会を見た。お金を払っているので内容については触れないが、オンラインの研究会というのは非常に味気ないものなのだなあと思った。
 まず、会場にどのような人がいるのか見渡すことができず、画面下方にある二ケタないし三ケタの数値から会場の混み具合を想像するしかない。当然、隣の人が眠そうにしているのか食い入るように発表を聞いているのか丹念にメモを取っているのか、そういうことは全く分からない。画面から目をそらせばそこは自宅なので、学会に出席していないかのような気持ちにすらなる。
 そして、ああそんな毎日を今の学生たちは過ごしているのだなあと、思いを馳せる。大学に行っている気がしないだろうなあと。可哀想だなあと思ってもできることなどなく、ただ日常が戻ることを祈るのみである。

さ/み

 聞くところによると、言語学のわりと有名な日本語のトピックに、「『さ』と『み』の関係」があるそうである。たとえば、「あたたかさ」と「あたたかみ」の最後の「さ」と「み」である。どういうときに「さ」や「み」が付くのかという論文が少し検索すれば多数見つかる。
 そんなトピックがあることを忘れていた数年前に、ネットで「つらみ」という語を見かけた。私の感覚では「つらさ」という語はあっても、「つらみ」は成立しないと思っていたのであるが、それを見かけて以来、それまで「み」が成立しなかった様々な語に「み」が付きはじめた。最も面白いと思ったのは「わかりみ」という語だった。よくわかる、共感できる、といった意味で使われているようだった。若者言葉、あるいはネット用語として、「み」は次々と広まっていった。
 言葉はどんどん変化していくものであり、それは善でも悪でもないが、私自身は昔ながらの感覚でいたいと思っていた。
 ところが、先日テレビを見ていたとき、「悲しみ」という語を見て、なぜか私はそれがさも若者言葉であるかのように錯覚しまった。昔からある言葉であるにもかかわらずである。どうやら私の感覚もかなり変化しているようである。

光秀

 現在放映中の大河ドラマの主人公は、明智光秀である。放映前までは、光秀のことを日本史の中でもかなりのチョイ役だと思っていた。信長を唐突に裏切って、そしてぱっと姿を消すという、到底主人公になりえない存在だと思っていた。一年間も話がもつのかなあとか思ってほとんどドラマに期待していなかった。
 ところが、大河としてとても面白い。主人公の明智光秀は、ものすごくまじめな男として描かれている。一方の信長は非常に憎たらしい横暴な人物となっている。まじめな光秀は信長に忠義を果たすのであるが、毎回見事に信長に虐げられる。その横暴ぶりは回を追うごとに酷くなり、周りの人物もなんとかせねばと考え始め、ついには光秀も裏切りを考え始める。光秀の裏切りに説得力がある。
 というところで前回が終わり、とうとう今度の日曜日で最終回となる(緊急事態宣言などにより12月で終われなかった)。このドラマ、一番の見どころは信長役の方の演技力である。脚本として破綻していそうなふるまいを見事に成立させ、非常に憎々しい信長像を作り上げている。
 日曜日にどのような演技を見せてくれるのか、非常に楽しみである。

YouTuber

 歌ってみたとか弾いてみたとかそのあたりの動画が好きなのであるが、先日見つけてしまったのが学生時代の同級生の動画であった。弾いてみた系の動画である。というかバンドのライブの映像であった。
 何かコメントを書こうかなあと思ったが、やめておいた。私が書き込むとその人の年齢がばれる。

延期と四十路

 クイズ番組の『アタック25』で、『エヴァンゲリオン』の作者を問う問題が出題された。いうまでもなく映画の宣伝であるが、緊急事態宣言で上映が延期された。この空振りぶりがいかにもエヴァンゲリオンらしい。製作者たちには申し訳ないが、私の中ではエヴァンゲリオンにはひどいオチがつきものだということになっている。
 ひどいオチといえば、『金曜ロードショー』も同じであり、三週連続でエヴァンゲリオンである。アタック25以上にひどい空振りである。
 これ以上の空振りはないと思うが、エヴァンゲリオンなので今後も何が起きるか分からない。
 ところで、エヴァンゲリオンといえば、1997年の夏の『もののけ姫』との競争が思い出される。あの夏高校生だった我々も、今や40歳前後である。おそらく今度の映画もその40歳前後がメインターゲットであろう。映画館で周りを見ると40歳がたくさんいるとか、そういう光景が見られるんだろうか。それとも親子連れで見に来るんだろうか。いや、親子連れはないだろう。エヴァンゲリオンといえば主人公たちの家庭環境の悪さである。子供に「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」とか言ってほしくはない。