四十路リミッター
四十歳を超えて一番変わるのは能力的なものよりも、性格的なものかもしれない。もちろん体力や精神力も衰えていくが、「できるのにやらない」ことも増える。
例えば、ネットでのバカ騒ぎなどは、四十代の今そんなことを書き記してどうするというのか、という四十路リミッターによってやめてしまう。若者が集っているお洒落なカフェなども、自分が行くようなところではないよなあと、足が向かなくなる。いろいろなところで、例えば役所に提出するような事務的な書類で、自分の年齢の記述を目にすることが増え、そうだよなあもう四十代なんだよなあとひしひしと感じるようになる。そして、若者ではないんだよなあと様々なことに遠慮するようになる。
そんな今、昔書いていたブログを読んで、「昔の自分、めちゃくちゃ楽しそうだな」と感じ、また何か楽しいことがしたいなとも思うのであるが、四十路リミッターが働く。
すぎる
例えば、「とても美しい」という「美しい」の強調の代わりに、「美しすぎる」と「すぎる」を使った文を目にすることが多くなった。確か、五年(十年?)以上前から「すぎる」が増え、もはやすっかり定着した感がある。この「すぎる」は、「すぎて困る」のようになんらかのマイナスの結果をもたらす場合に使われていた語だった気がするが、もはや単なる強調になっているようである。
そういうわけで、「すぎる」が単なる強調になった今、次のインフレ的な強調語に何がくるのかと楽しみである。
見ていないのに満足した映画
月曜日に映画『エヴァンゲリオン』が公開されたようである。私はこの緊急事態宣言下で映画を見に行くつもりがなかったので、ネタバレをいくつか読んだ。
ああ、いい映画だなあと思った。
特に、**になぜ**が**していたのかという謎が解決し、個人的にものすごくいい**だなあと思ったのだった。**もきっと**たのだなあと思った。
長文についての短文
以前、年をとるといろいろと衰えてくるということを書いた(クラスとおっさん - 周波数と駒)。
最近衰えを感じているのが、文章である。長文が書けなくなってきている。というか、実際に書けていない。以前は『IHARA Note』のブログでがしがしと長文を書いていたが、今にして思えばよくあれほど筆圧の強い長文を量産していたなあという感じである。
そういうわけでこれからは、ここも短文ブログになると思う。本文が三文で終わるとか、そういう短文である。
1筋突破
アマチュアの将棋ではしばしば端攻めが見られる。端の香車と歩とあといくつかの駒で相手の端を突破するのである。私は弱いので端攻めをされるといつも突破されてしまう。しかし、プロ棋士は突破されない。理由は分からないが、プロ同士では端攻めが成立しない。
と思っていたのであるが、先日の棋王戦(2021年2月20日 五番勝負 第2局 渡辺明棋王 対 糸谷哲郎八段|第46期棋王戦)で端攻めが成立してしまっていた。素人的に見ると、あっけないほど簡単な端攻めで、あろうことか1八銀(打)というプロっぽくない手まで現れた。端攻めを許したのは読み筋で、ここから反撃の手があるに違いないと期待したものの、そのまま押し切られてしまった。
プロでも端を破られることがあるんだなあと驚く。