読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

二周年ですかー。

はてなブログ2周年おめでとう!> id:hatenablog

安定した動作のこのブログサービスが好きです。

とても書きやすいユーザインタフェースで大変気に入っております。

小さな頃は流行に乗り遅れていると「それくらい知っておけよ」と言われたものだが、今は、「昭和生まれだから分からないんだけど」と前置きするという技が使えるので楽になった。

☆☆☆

以下、例。

☆☆☆

「昭和生まれだから分からないんだけど、それって下着のパンツのこと?それともズボンのこと?」

「昭和だから、赤外線通信とか分からない」

「昭和的には、トランク一つだけでイン・ザ・スカイ」

☆☆☆

なお、昭和同士であっても、この技は使える。

☆☆☆

「昭和としては、プロジェクタで画面を切り替えていく講義はありえない。手書きがいい」

「都こんぶはコンビニよりは駄菓子屋で買いたい」

「『平成』が発表されたときの感覚が忘れられない。『なんだか平安っぽいな』って」

☆☆☆

そういうふうに言っておくと、どういう人か分かってもらえる。

先日、skypeで喋っていたら、相手がそもそも「通信」に関する基本的な概念を知らないということがわかった。

まあ、知らなくて当然ではある。

☆☆☆

通信というのは、まずは糸電話を思い浮かべてもらえると理解しやすい。

「喋る→声が糸の震えに変わる→糸を伝わっていく→糸の震えが声に変わる→聞こえる」

基本はこれである。

この「喋る」と「聞こえる」とのあいだに、「離れた場所」とか「未来」とかそういう「隔たり」があると、だいたい「通信」に関するトピックになる。だから、糸電話は通信のトピックである。

あと、「喋る」「聞こえる」は音の情報だが、これを「映像」にしたり「文字」にしたりといろいろと変えると、例えば、テレビになったりメールになったりする。

情報を伝えることに関するトピックはだいたい通信のカテゴリに入る。

じゃあ、情報を隔たったところに伝えるにはどうするか。

糸電話では、「音」を「糸の振動」に変えた。テレビは「映像」を「電波」に変えている。要するに、「そのままでは伝えにくいもの」を「伝えやすいもの」に変えるのが常套手段となっている。もちろん、受け手側では「伝えやすいもの」を再び「そのままでは伝えにくいもの」に戻す必要がある。

というわけで、通信の古典的なメイントピックはざっくりと次の3つとなる。

「何を伝えるか」:声とか映像とか

「何で伝えるか」:糸の振動とか電波とか

「どう変換するか」:声を糸の振動に変換したり、映像を電波に変換したりとか

で、どのトピックもそれぞれ難しい。

どれも∫とかΣとかlogとかcosとかわんさか出てくる。

☆☆☆

ということを電子工学とか通信工学とか情報工学とかそのあたりの学科に行くと習うことになる(場合によっては習わないこともある)。

よって、安易にそのあたりの話題を振ると会話に「∫とかΣとかlogとかcosとか」わんさか出てくることになるので、そういうのが苦手な人は気をつけましょう。

いやー、女流王位戦、すごかったですね。

http://live.shogi.or.jp/joryu-oui/kifu/24/joryu-oui201306050101.html

お互いに粘りがすごく、最後までどちらが勝っているのか分からなかったようです。

☆☆☆

昔、卓球をやっていたことがあるんですが、そのときのことを思い出します。

私の頃は、21点を先にとったほうが1セット獲得するというルールでした(今は11点先取です)。

で、卓球にはデュースというルールがあり、20−20になったらどちらかが2点差をつけるまで勝負が決まらないことになっていました(今なら10−10からデュースです)。

卓球の点数のカウントというのは公式戦では、片方が1点獲得するごとに1枚ずつ卓球専用のスコアカードをめくっていくという方式をとります。で、デュースを見越して30枚くらいカードがあるのが普通です。

ところが、大熱戦になるとこのカードが30では足らなくなるんですね。だいたい、25というカードが見え始めた時点で「これ、いつ終わるのかよ…」という雰囲気が観戦している人たちの間で漂い始めるのですが、30付近までくるとなぜか笑えてきます。「なんだ、この二人!」って。

で、とうとう31を越すと、カードを整理して1からカウントしなおすんです。そういうルールなのではなく、用具が30までしかないからです。で、その間に時間がかかるので、ちょっと集中力が切れて、そこから先はあっけなく終わったりします(テレビ中継されるような試合は電子的にカウントされるのでそういうことはありませんが)。

まあ、とにかく、デュースが延々と続くと、「すげー!」を通り越して笑えてきます。どこか喜劇的です。

☆☆☆

そんな、デュースが延々と197まで続いた感じの対局でした。

昨日の情熱大陸、やはり冒頭に羽生先生が出た。

羽生先生のインタビューを聞いていると、いつも思うんである。

きっと音声認識の最後の壁は羽生善治だ、と。

☆☆☆

羽生善治は言葉を選んで喋る。

そして、言葉を途中で区切りつつ喋る。

典型例が、「思います」である。

「偉業だと思います」ではなく、「いぎょうだ、と、おも、い、ま、す」といった具合に区切る。

区切るというのは、音と音とのあいだに無音の信号を挿入するということである。それは機械にとっては、「何もない音」ではなくて、紛れもなく「音声の一部」である。もっと音声認識の作り手の気持ちを込めていえば、「単語に『無音という雑音』が入っている」ということになる。

羽生善治は、機械にとってとても想定しづらい「雑音」を単語に仕込むのである。

日本語に長けた人は「おも、い、ま、す」をいとも簡単に聞き取るが、それは人間だからではない。日本語に慣れているからである。

以前読んだハワイ語の入門書によれば、ハワイ語では母音の前に空白を入れるか入れないかで意味が変わる単語があるそうである。つまり、ハワイ語に長けた人は、発音の上では「おも、います」と「おもいます」を区別する(ハワイ語は子音の種類が少ないので「サ行」にあたる子音があったかどうかが思い出せないのだが、「マ行」はあったはずだ)。

というわけで、人間を模して作った音声認識であっても「おも、い、ま、す」はつらい。

☆☆☆

羽生先生の「無音挿入」が、コンピュータ(音声認識)に立ちはだかる。

(「おもーいーまーす」ならあまりつらくないので、めちゃめちゃ微妙な話なんだけど。)